故アップル元CEOスティーブ・ジョブズのKeynoteの中で今でも心に残る物が沢山あるが、その中に、Technologyという道とLiberal Artsという道が描かれており、その交差点にイノベーションがあると説明した絵がある。検索すれば沢山出でくる。
よく似た話はいくつか聞く。Sonyの元CEOである、大賀さんがかなり昔ではあるが、日経新聞の「私の履歴書」で、「役員は理系と文系をバランスよく配置するのがいい」と書いていた。かなり前に読んだ本なので、説明の仕方は少し違うかもしれない。
多くのプログラマと話をすると、「良いプログラムは論理的な考え方とアーティスティックな考え方の両方がないとダメだ」という考え方がある。
先日、ソニックガーデンの倉貫社長と話をしたが、国語の作文の上手な人はプログラマに向いていると話していた。
少し意味が違うかも知れないが、私の子供が受験をする時に、国語が苦手だったので、いろんな勉強法を妻が探した。「国語は論理思考で勉強する」という勉強法があった。私はてっきり、「算数の好きな人は、論理思考が強く、国語が得意な人は、論理思考が弱い」と思っていたが、違ったのである。
文章を書くときは、クリエイティブな考えとその文章を構成する論理思考との2つのバランスが必要で、面白い話を書いてあるが、論理的にいろんな矛盾があったり、文章としては、すごくうまくまとまってはいるが、何か面白味のない文章だったりすることがよくあるではないか。プログラムも同じである。
私は、データモデルを作るのには、クリエイティビティが必要だと思っている。もっと言うなら、想像力である。プログラムの中で一番大変な仕事はデータモデルである。良かれと思って作ったデータモデルが、将来のソフトウェア改変の足かせとなる。したがって、今の要件だけで論理的に作ったデータモデルは将来を縛る。
なぜこの話をするかというと、
「働き方改革をする時に、効率性だけを求めていっても、100対62は永遠に埋まらない」
からである。100(米国)の方は、効率化がすでに終わっており、クリエイティブな部分に多くのお金と時間を割いている。それが一番最初に話した、Apple社のジョブスの話であり、その結果として開発されたのがiPhoneである。
2008年iPhone 3Gが発表された時、私と2人の友人はサンフランシスコの寒い朝をジョブスのKeynoteを聞くために、
早朝4:00から並んでいた。そのカンファレンスで、Appleの多くのエンジニアが主張していたのは、
「キーボードとマウスでクリックする様なコンピュータ(このコンピュータはAppleが世の中に出したものだが)は終焉するだろう。人間がもつフィンガーという素晴らしいインタフェースで、人間とコンピュータが会話することができる。それがiPhoneである」
ということであった。
だから、
「開発者の皆さん、コーディングをする時間よりも、どんなユーザインタフェースが良いのかに、もっと時間を使ってください」
と言っていた。
これは、TechnologyとLiberal Artsの交差点の話をしていたのだと今更気付く。
よくマーケティングをする人たちがシーズ(Seeds)が先かそれともニーズ(Needs)が先か?と意味のない議論をしている。今回はそれに終止符を打ちたいと考える。もちろん、文系か理系か?、論理思考かクリエイティブ思考か?営業か技術か?ベテランか若者か?も同じである。
シーズ(Seeds)とはテクノロジーの事と同義語と考えていい。「うちの技術を使うとこんなことができるが、面白くないですか?」というやつだ。こんなことを聞かれた時にほとんどの人は、「そんなの役に立たない」と答えるであろう。そんな人は、イノベーションに向かない。
そんな時に、あなたのクリエイティブさ発揮して、
「この技術は、我々のビジネスではこう役立たないだろうか?」
と考えることができる人間が役に立つ。普通、そんな人間は、金食い虫と呼ばれて相手にされない。だから働き方改革でダイバシティが必要なのである。
人工知能という用語がすごく曖昧なのだが、それはさておき、「Deep Learningをつかって、こんなことが出来ますよ」というのがSeedsである。自動運転車がその1つなのだが、「うちは自動車業界ではないので、自動運転車の話はいらない」という人は気をつけたほうがいい。実は、自動運転車には、参考となるいろんな事実がある。
例えば、Googleはわざわざハロウィンの時期にテスト走行をしている。人間が自動車を運転する時に前に子供が出てきたらどうするだろう?普通は、スピードを落とす。飛び出して来ないかと危惧するからである。しかし、人間なら簡単なことであるがコンピュータが、
「仮装をしている人を子供か大人か?」
を見分けるのは容易ではない。そのデータが不足しているからである。そして、このデータを取るためにハロウィンを利用するのである。自分達の業界でも人工知能をつかって、デジタル変革をしたいのであれば、
「本当に必要なデータは足りているのか?」
を考える必要があるのではないか。
ニーズ(Needs)は逆の発想である。「我々の業界ではこんな苦労があります。それを解決するための方法を探しています。何か提案してもらえますか?」がそれだ。
例えば
「人工衛星が壊れてるんですが、修理したいんです」
というニーズがあった場合、シーズとして、人間がスペースシャトルに乗って、人工衛星の軌道まで行って、修理できればいいのだが、実はそんなに簡単ではない。
スペースシャトルは90分に1回、地球の周りをぐるぐる回る「周回起動」に打ち上げられている(これはLiberal Arts)。日本の上空にとどまる静止衛星までスペースシャトルを飛ばすのは至難の技なのだ(これはTechnology)。この場合は、壊れた人工衛星をあきらめて、新しい人工衛星を打ち上げたほうが、最新の人工衛星になるし、コストも安くなるので、現在のテクノロジーからするといい解決策に思える(これは交差点)。宇宙ゴミ問題が発生するのは、そういう理由からであるが、「宇宙ゴミ問題の解決」というニーズであれば、「壊れにくい人工衛星を作る」という解決策がベストかもしれない(これも交差点)。本当のニーズは違ったところにあるかもしれないと考えることも必要である。
シーズとニーズを双方向から議論をすると、この間の溝がどんどん埋まっていく。イノベーションは、テクノロジーとリベラルアーツの交差点で発生する様子がよくわかるだろう。私は、それは
「シーズとニーズのぶつかるところ」
であると考える。
ところで、情報システム部門はニーズを掘り出すところなのだろうか?それともシーズを捉えるところなのだろうか?業務部門はIT部門に何を期待してるのであろうか?「ITをつかってデジタル変革をしたい」という相談を多く受けるが、実はITだけでは無理である。ニーズとシーズがぶつからないとデジタル変革は出来ない。ダイバシティという言葉を、
「多様性を持ったシーズとニーズの集まり」
と考えてみると、ワークスタイル変革も変わった角度で見ることができる。
当社のスマートフォーメーションサービスでも、お客様(事業部門)が持っているビジネスのノウハウがないと当社のエンジニアがいくら最新のITに詳しくてもデジタル変革は出来ないと考えている。企業の中の情報システム部門はテクノロジーとリベラルアーツの交差点となってはどうであろうか?